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東京高等裁判所 昭和60年(う)1292号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人芳永克彦及び細野静雄連名提出の控訴趣意書及び同補充書に、これに対する答弁は、検察官橋本昂提出の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

第一理由不備の違法(刑事訴訟法三七八条四号前段)を主張する点について

所論は、差戻前の第二審判決(以下「差戻判決」という)が、波多野勤子(以下「勤子」という)は株式会社洋書センター(以下「洋書センター」または「会社」という)の代表取締役を辞任し、かつ、会社が解散した後清算人の地位になかつたが、「その依つて立つ立場如何によつては」労組法一条二項の予定する「使用者」性を肯定される可能性があることを明言し、同時に、右「使用者」概念の吟味を提示しているのに、原判決は、差戻判決の提示した「使用者」概念の慎重な吟味検討を忘れ、「その依つて立つ立場」を一切示すことなく、単に、弁護人らの勤子が洋書センターの実質上の経営者・使用者であつたとの主張を排斥したうえ、本件行為当時、勤子は労組法七条二号の「使用者」に該当しないと断定しているのであるが、しかし、原判決が弁護人らの主張してきた「使用者」概念の当否、更に、これに応えて差戻判決が命じた「使用者」概念の吟味検討について一顧だにせず、かつ、労組法一条、七条二号の「使用者」の概念を明示しないで、勤子の使用者性の有無を結論するのは、判決の理由不備に当り、絶対的控訴理由として破棄を免れない、というのである。

そこで、原審記録(差戻前の第一審及び第二審記録を含む)及び証拠物を調査、検討し、以下のとおり判断する。

差戻判決は、洋書センターが解散した会社であることからすれば、洋書センターの従業員であつた被告人ら三名で結成された洋書センター労働組合(以下「組合」という)の交渉相手は、本来洋書センターの清算人である松井晴嗣であることは明らかであるが、労組法一条二項の予定する「使用者」ついて「労働関係上の諸条件、諸利益に対して現実的、具体的支配力を行使していることが認められ、しかも、労組法七条二号により、当該使用者に交渉義務を負わせなければ、労組法一条一項の目的を実現することが困難であると考えるにつき合理性が認められる場合は、その使用者性を認める」との立場に立ち、かつ、「偽装解散についてであるが、会社が解散した以上は清算人以外に使用者たるべきものを認めないとする立場がある一方、会社が解散すれば、その組合員を雇傭し続けなければならない地位に立つ解散会社と同一性をもつ新会社が使用者となる」との見解をとり、使用者性を広義に解するならば、勤子に対し、洋書センター代表取締役辞任後、引継き使用者性を肯定することも不可能ではなく、その依つて立つ立場如何によつては、勤子について、被告人らの解雇問題、会社再開問題(社屋移転問題は本件犯行時には既に実益が失われていたと思われる)につき、団体交渉の要求に応ずべき義務が生じていたと見ることも可能であり、勤子がこれを拒めるのは、正当な理由が認められる場合のみであるということになるから、被告人の本件立入行為については、なお理論上検討を要するところが多いとしても、その法律解釈の如何によつては、右行為は勤子に対する労組法一条一項の「団体交渉」ないし「その他の行為」に当るとして、その違法性を阻却される可能性を否定し得ないとして、更に審理を尽くすことを命じているのである。

これに対して、原判決は、差戻判決の指摘する右の点について更に審理を尽くしたうえ、弁護人らからの「1 勤子は、労組法七条二号の使用者に該当し、洋書センター労働組合との団体交渉に応ずべき義務を負うものであるところ、被告人の本件立入行為は、洋書センター労働組合の執行委員長として単身平穏裡に要求書を持参して面会交渉を申し入れるために訪問したにすぎないものであつて、使用者である勤子がこれを拒否することには同号の『正当な理由』がない。従つて、被告人の本件立入行為は、同法一条二項の『正当』性を有し、刑法三五条の適用を受ける。2 仮に、本件立入行為が労組法一条二項の正当行為そのものに該当しないとしても、同条項の類推適用ないしは刑法三五条の直接適用により違法性が阻却される。」との主張を排斥し、刑訴法三三五条二項により弁護人の主張に対する判断を示しているが、その判断中において、勤子の使用者性について、原判決は、洋書センターの従業員であつた被告人らにとつて、本件立入行為当時の団体交渉の相手方は、本来、洋書センターの清算人である松井であつたとしながら、更に、弁護人の主張に答え、勤子が争議解決能力を有する洋書センターの実質的経営者であり、労組法一条二項、七条二号の「使用者」に該当するかどうかについて検討を加え、かかる観点から、洋書センター設立の経緯、洋書センターの運営状況等、洋書センターにおける労使紛争の経緯について事実認定を行い、勤子個人或はさいこ社の代表取締役としての洋書センターにおける地位、権限並びに洋書センターと勤子個人ないしさいこ社との関係、被告人を含む洋書センター労働組合員らの勤子に対する面会要求の経緯や要求事項について考察を加えたうえ、被告人の本件立入行為当時、勤子が洋書センターの実質上の経営者或は使用者であつたことの証左であるとして弁護人らが主張する事実は、いずれもさいこ社ビル及びビルの所有者であるさいこ社の代表者としての勤子がとつた行為として十分合理的であり、かつ、それ以上のものとして理解する根拠は何ら見出し難いから、本件立入行為当時、勤子は労組法七条二号の「使用者」に該当しない、と判示しているのである。

してみると、なるほど、原判決は、労組法一条二項、七条二号の「使用者」の概念ないし意義を明示していないけれども、右判示内容からすれば、「使用者」は、本来、洋書センターの従業員であつた被告人らの雇傭主である洋書センターであり、会社解散後は、その清算人である松井がその地位にあることになるが、仮にこれを実質的に解しても、勤子は労組法一条二項の予定する「使用者」の地位になかつたとしているのである。要するに、原判決は、勤子は、形式的にも実質的にも労組法一条二項、七条二号の「使用者」の要件を備えていないと判断していることは明らかである。

以上のとおりであつて、原判決が(弁護人の主張に対する判断)において判示するところは、弁護人の主張に対する判断として欠けるところはなく、その理由に論理的にも、不備や矛盾はなく、所論のいう理由不備の違法は認められない。論旨は理由がない。

第二法令適用の誤りを主張する点について

一所論は、労組法七条二号の「使用者」性とは、特定の労使間の問題について、これの解決に向けて労働者の代表者と交渉するに相応しい者、すなわち、労働組合との団体交渉適格性を有するもの、と理解すべきであるから、右の「使用者」とは、代表取締役・清算人等の形式的な法人の代表資格を有していることは必要要件ではなく、実質的に労使間に関係する何らかの利益に直接的な影響力や支配力を及ぼしうる地位にあるものを指すものであつて、これを本件に即していえば、昭和五三年八月当時、組合が洋書センターに要求していた被告人の解雇問題、会社再開問題について、組合と交渉することによつて事実を開示して組合の理解を求め、かつ、右問題の責任の所在を明らかにしたうえで当面する事態を解決するには、組合との交渉最適任者は、唯一、勤子であつたとの結論を、原判決が認定した諸事実を前提として検討しても、容易に導くことができ、特に、①組合が昭和五〇年四月から、勤子に対して申し入れた事項は、当初は社屋移転問題についての改善要求であり、次いで五月以降は、被告人らの解雇問題、九月以降は解散・会社再建問題についての要望―抗議―団交申入れであり、本件発生当時、組合の勤子に対する申入れは、被告人らの解雇撤回・会社業務再開問題に限定しての組合との団体交渉を働きかけるものであつたこと、②同五一年七月二〇日付都労委命令は、会社に社屋移転・解散問題について団交を命じたが、結局は本件発生まで団交は実現されることなく、その最大の理由は、命令の名宛人たる形式上の会社代表者に右の問題に関する解決能力・開催意欲がなく、同五一年春ころから会社代表の所在を組合が把握できなかつたことによるものであること、③波多野ビル(旧さいこビル)は、同五三年七月一〇日ころ竣工しているが、本件発生当時、未だ外見上はほとんどテナント未入居の状態であつたこと、④右解雇問題及び会社業務再開問題について、解決能力を有し、かつ、組合が期待しうるものは勤子のみであり、これらの問題を解決するにあたつては、会社の株主たる親会社に働きかけること及び会社業務の場所―売場の確保が必要不可欠の条件となるが、勤子が本件当時も株式を保有していたか否かの点をさておいても、株主たる各社に対して、解散手続を停止して業務再開を実現するためのリーダーシップは勤子のみに可能であり、これは、会社設立の際に果たした勤子の重要な役割をみるとき容易に肯定でき、他方、業務再開に欠かすことができない営業スペースの確保は、勤子の地位、特に同族企業が新ビルのオーナーであり、勤子の波多野家ないしその一族での地位を考えるとき、勤子のみ解決可能な問題であると理解できること、などからも明らかであり、こうして、被告人の本件訪問行為は、組合の執行委員長の資格においての組合の行為であつて、単身、平穏裡に要求書を持参して、組合との団体交渉の開催を求めるため面会・説得を目的とした訪問行為にすぎないのであるから、勤子には労組法七条二号の「正当な理由」がない以上、組合の団体交渉の申入れに対して、これに応ずべき義務があり、勤子に対し解雇撤回・会社業務再開問題についての団体交渉の申入れのために、勤子の別荘を訪問した被告人の本件行為は、違法性が阻却され、無罪とされなければならない。しかるに、原判決は、労組法七条二号の「使用者」の概念を示さずに勤子の「使用者」性を否定したのは、同法の「使用者」の解釈を誤り、判決に影響を及ぼすべき法令の誤りを犯している、というのである。

そこで、検討するに、本件の事実関係において原判決が認定判示しているところによると、要するに、

(一)  勤子が代表取締役を勤めている株式会社さいこ社(以下「さいこ社」という)所有のさいこ社ビルは、関東大震災直後に建築されたもので、同ビルを一括賃借していた株式会社河出書房新社が昭和四四年初めころ急に退去したため、さいこ社は、河出書房に返却する敷金一五〇〇万円を用意するとともに、新たな賃借人を早急に見つける必要に迫られ、同時に、同ビルが老朽化していることから近い将来建替えることを予定していることや管理上の便宜等から、同ビルを一括賃貸したいと考えていたところ、同ビルの賃貸方を申入れていた株式会社極東書店(以下「極東書店」という)や日本洋書販売配給株式会社(以下「洋販」という)から、株式会社洋書センターを設立し、同ビルで輸入書籍卸業各社の小売部門を協業化した、一つの総合書店で開く計画を申入れてきことから、勤子もこの構想に賛成し、洋書センターを設立しさいこ社ビルのテナントとすることを承諾した。このような経過から、勤子らが他の卸業者数社に対し、右計画への出資、出店を呼掛けた結果、極東書店や洋販を含む七社が右計画に参加することとなり、右七社が各四〇万円(各八〇〇株)を出資した(洋販のみ代表者個人が出資)ほか、さいこ社が二〇万円(四〇〇株)、勤子個人が二〇万円(四〇〇株)、松井が三〇万円(六〇〇株)をそれぞれ出資し、昭和四四年一〇月三〇日洋書センターが設立され、取締役には、同社に出資、出店した七社の代表取締役各一名、勤子、松井の合計九名が就任し、代表取締役会長に勤子が、代表取締役社長に洋販の代表取締役である渡辺正廣がそれぞれ就任し、さいこビルを一括賃借して、同ビルにおいて輸入書籍の販売等を開始した。

(二)  洋書センターは、設立以降、実質的な経営は全て同社代表取締役社長渡辺及びその指示を受けた同社取締役兼店長松井によつて行われており、勤子及び渡辺は昭和四九年八月、任期満了を機に代表取締役を(勤子は取締役も)退任し、松井が新たに代表取締役に就任し、引き続き経営を担当した。

(三)  かねてから老朽化していたさいこ社ビル及び隣接の巌松堂ビル株式会社所有のNCビルの建替え計画があつたところ、昭和四九年一二月ころから、東京都営地下鉄線の敷設に伴い、同線神保町駅の出口等とさいこ社ビルとを合築することが急速に具体化し、さいこ社は、洋書センターに対し、同ビル建替期間中付近の仮店舗に移転することを求めた。

洋書センターは、取締役会において右仮店舗への移転について協議した結果、新ビルへの優先入居権を有する同社にとつて将来有利になることから、これを受入れることにし、さいこ社から提案のあつた田中ワイシャツ店横の店舗を仮店舗として借受け移転することに合意し、昭和五〇年三月、組合に対し同年五月一五日までにさいこ社ビルを明渡し、右仮店舗に移転することを正式に通知し、仮店舗への移転について組合側の協力を求めた。しかし、組合は、右仮店舗移転問題に関し組合との間での協議が十分行われなかつたことを不満とし、また移転先が狭隘なため労働条件の劣悪化を招くとしてこれに強く反対し、松井ら会社側代表者との間で、数回にわたり交渉を行つたが、右交渉は結局物別れに終つた。松井は、組合側の態度から明渡期限までに協議が成立することは困難とみて、明渡期限が一〇日後に迫つた同年五月五日ころ、抜き打ち的に仮店舗への移転を行い、さいこ社ビルを明渡したため、被告人らは、これを組合を無視した態度であるとして、組合を支援する者らと共に同月六日から同年六月一六日に強制的に排除されるまでの間さいこ社ビルを占拠し、また同年五月一二日から一四日まで連日仮店舗前に押し掛け松井が営業を開始するのを妨害した。

これに対して、さいこ社は、洋書センターに対し、被告人らを同ビルから退去させること、さもなくば新ビルへの優先入居権を洋書センターが失うおそれがあることを通知してきたため、洋書センターは、同一五日被告人及び中川京子を、右占拠の際松井に対して暴行を加え傷害を負わせたことなどを理由に懲戒解雇にした。

洋書センターは、その後も仮店舗での営業を開始することができないばかりか、その見込みもたたず、異積赤字も一二〇〇万円を超えるにいたつたため、同年八月二九日に開催された株主総会において解散を決議し、同年九月一二日解散登記をし、松井が清算人に選任された。また、昭和五二年一〇月、さいこ社代表取締役の勤子と洋書センター清算人の松井との間で、洋書センターがさいこに保管を依頼していた什器、備品類を五〇〇万円でさいこ社が買取り、洋書センターがさいこ社ビル及び新ビルに関し何らの権利も有さないことを確認する解約合意書が取り交わされ、そのころ、さいこ社から洋書センターに五〇〇万円が支払われた。

(四)  被告人は、組合執行委員長として、洋書センター解散後も、右会社に対して店舗移転問題、被告人及び中川の解雇問題、洋書センターの解散問題等について団体交渉を要求し、更に、東京地方労働委員会に救済の申立てをし、同委員会は、同五一年七月二〇日、洋書センター清算人松井に対し、右の問題について誠実に団体交渉に応じるようとの命令を出したが、松井が右命令を不服として中央労働委員会に再審査の申立てをし、結局同委員会の斡旋により会社側と組合側との間で数回にわたり団体交渉開催の条件等について話合いがもたれたが、組合側が、洋書センターに出店していた会社関係者が団体交渉に出席することを要求して譲らなかつたため、団体交渉を開催するに至らなかつた。

(五)  被告人は、昭和五一年暮ころから、支援者らと共に勤子の住居等に押し掛け、洋書センター再開等を要求して執拗に面会を求めたり、ビラを配布するなどの行為を繰り返してきたが、勤子は、その都度面会を拒み、更に、昭和五三年六月一六日付のさいこ社代理人弁護士河村卓哉名義の内容証明郵便をもつて、被告人宛に、さいこ社と洋書センターとはかつて賃貸人と賃借人という関係にあつたに過ぎず、洋書センターの労働問題について被告人らと接触しなければならない理由は全く存在しないこと、及びこれらの問題についてさいこ社及び同社代表者に対し、その事務所、所有建物、代表者の私宅等への訪問、架電、文書の送付等の一切の直接行為に出ることを禁止する旨のことを通告したが、被告人らは、その後も同様の行動を繰り返すため、かさねて同年七月一二日、同弁護士名義で同様の内容証明郵便を被告人宛に差し出した。

(六)  このような経緯の下で、被告人は、昭和五三年八月二三日午後零時三〇分過から午後三時三〇分過までの間、原判示所在の波多野リボオ及びその家族が居住する勤子所有の別荘の敷地内に、すでに勤子から、洋書センターの労働問題等に関しては被告人らと面会する意思も理由もないことを明確に申入れられており、その勤子の意思を知つていたにもかかわらず、右問題に関し同女に対し強いて面会を申し込む目的で入り込んだうえ、同別荘玄関左右の壁に、所携のサインペンで「波多野勤子は会社を再開しろ 解雇撤回をかちとるぞ ハタノビルでの再開をかちとるぞ 波多野勤子の責任をどこまでも追及するぞ! 波多野よ逃亡を止め団交を開け」「波多野勤子は直ちに洋書センターの争議を解決しろ!」などと黒書した、というものである。

以上の事実は、原判決挙示の各証拠により、すべて正当として是認できるところである。

してみると、被告人が勤子所有の住居に侵入し、家屋を汚した本件行為に対して労組法一条二項の労働組合の団体交渉その他の行為として正当性が認められるか否かについては、勤子が同条の予定する使用者であることを前提として要するものである。そこで、勤子の使用者性について考えてみるに、被告人が勤子に要求している事項は、洋書センターが行つた被告人に対する解雇処分の撤回及び解散した洋書センターを再開(解散した洋書センターの権利義務を承継する新会社の設立)し、さいこ社ビルにおいて営業を開始し、引継き被告人を雇傭することを求めるというものである。しかし、洋書センターが解散し、新会社が設立されていない以上、被告人の要求する事項は、被告人の雇傭契約上の雇用主であつた洋書センターのみが解決できる問題であり、右の事項を労組法上の問題として団体交渉を求める相手方として同法七条二号にいう「使用者」の地位にあるものは、専ら、洋書センターということになり、当時同社は解散していたのであるから、同社の清算人であつた松井が団体交渉の相手方であつたというべきである。もつとも、洋書センター自体が、雇傭主として実体を備えておらず、実質的な雇傭主ないし雇傭主と同様に支配力を現実かつ具体的に有する者が別にある場合には、その者を「使用者」と認めるべき場合があるとしても、本件では、洋書センターは、その設立の経緯においてはさいこ社代表取締役の勤子の意向が強く反映されていたとはいえ、洋書センターの資本、及び営業の中心は輸入書籍卸業者七社であり、代表取締役の松井にその営業を委ね経営されていたこと、店舗の移転、被告人らの解雇、会社の解散等は、全て同社自体で決定し、実施していたことからも明らかなように、実体を備えた会社である。これに対して、勤子は、個人及びさいこ社の代表取締役として、洋書センターの設立に参加し、出資しているが、その持分は、さいこ社と合わせても三五分の四程度のもので、洋書センターにおける経営、営業活動を支配するほどのものではなかつたこと、勤子ないしさいこ社は、さいこ社ビルの貸主としての権利ないし利益を確保することを主目的として洋書センターの経営に関心を示していたが、洋書センターに及ぼした影響力は、専ら、さいこ社ビルの貸主と借主という民事上の関係においてのみ行われていたのであり、所論のいわゆる親会社・子会社の関係にはなかつたことなどに照らすと、両社は形式的にも、実質的にも独立した別人格であつて、勤子ないしさいこ社が洋書センター内部における労働問題について、所論のような被告人らの実質的な雇傭主としての地位になかつたことは明らかである。また、差戻判決が示唆するように、労働契約の当事者であると否とを問わず、何人であれ、労働関係上の諸条件、諸利益に対して現実的、具体的支配力を行使していることが認められ、しかも労組法七条二号により、当該使用者に交渉義務を負わせなければ、労組法一条一項の目的を実現することが困難であると考えるについて、合理性が認められる者にも同号の使用者性を認める、とする見解は、使用者概念が不明確であるばかりか、数人の独立した「使用者」を認めることになるなどの矛盾があり、到底採ることができない。

以上のとおりであるから、被告人の本件住居侵入及び軽犯罪法違反の行為が、洋書センター労働組合の執行委員長として解雇撤回、洋書センター再開等の要求のために面会を求めるものであつたとしても、その相手方である勤子は、労組法一条二項、七条二号の「使用者」の地位になかつたことは明らかであるから、既にこの点において、同法一条二項にいう労働組合の団体交渉その他の行為として正当なものとは認められず、刑法三五条の適用を受ける余地がないというべきである。従つて、原判決が、被告人の本件各行為に労組法一条二項の正当性を認めず、刑法三五条を適用しなかつたのは正当であり、原判決に所論の指摘する法令の解釈適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

二所論は、要するに、仮に勤子が労組法の「使用者」に該当しないとしても、被告人の本件別荘立入行為は実質的違法性を欠き、罪とならないものというべきであつて、これに反し、被告人に対して住居侵入の点についても有罪とした原判決は、違法性に関する法令の解釈を誤つた違法があり、それが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかしながら、前記認定の事実関係によつて明らかなように、勤子には、被告人らの団体交渉その他の行為に対してこれに応ずる義務は全くないにもかかわらず、被告人は、さいこ社ビルの建替を契機とする洋書センターの旧社屋移転問題に端を発して労使紛争が生じ、被告人らの解雇、洋書センターの解散と事態が発展したことについて、さいこ社ビルの所有者兼賃貸人であつたさいこ社の代表取締役の地位にある勤子に対し、争議解決の責任があると強硬に主張して自己の要求を実現しようとし、昭和五一年暮ころから、支援者らと共に勤子の居住する音羽ハウスヘ押しかけて大声を挙げてドアを叩きながら面会を求め、或は近隣に勤子を攻撃するビラを配布するなどの行為を繰り返していた一連の行動の一環として本件住居侵入が行われたもので、居住者の平穏な生活に対する明白かつ著しい侵害であること、既に、勤子は、さいこ社の代理人弁護士河村卓哉を通じて、二回に亙り内容証明郵便で被告人らと面会しなければならない理由も、また、その意思もないことを通知するとともに、訪問等の行為に出ることのないよう警告をしていたにもかかわらず、これらを全く無視し、遠路勤子の別荘にまで押し掛ける暴挙に出ていることなどの諸事情に照らせば、被告人の本件住居入行為は社会通念上から許容される限度をはるかに超えており、法秩序全体の見地からみて実質的違法性を欠くどころか、大いに存することは明白である。

従つて、原判決が本件住居侵入について、労組法一条二項の類推適用ないし刑法三五条の正当行為、その他実質的違法性を欠く行為と認めなかつたのは正当であり、この点に所論のいう法令の解釈適用の誤りは認められない。論旨は理由がない。

第三訴訟手続の法令違反ないし事実誤認を主張する点について

所論は、弁護人らが、本件発生当時、被告人の認識していた事実は、合理的な判断のもとで勤子の使用者性を肯定するものであつて、同女が組合に対する団交義務を負うものであるとみなしていた以上、違法性に関する事実について錯誤があつたものであつて、故意が阻却されると主張したのに対して、原判決は、これを否定し「被告人らにおいて、勤子が本件立入行為当時、洋書センターを実質的に支配しており、被告人らの実質上の使用者であるとの認識を有していたものとは到底解されない」と判示しているのは、原判決が自由心証主義の合理性を逸脱し、論理法則に違背する証拠の取捨選択を行つたために生じた誤認であつて、これが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかしながら、原審において弁護人らが主張する違法性に関する事実の錯誤について、原判決が(弁護人の主張に対する判断)四の項で、認定判示している事実及び原判決が右事実によれば、被告人が、勤子を、解雇撤回、洋書センター再開等の要求をする労働組合の団体交渉その他の行為の相手方としての「使用者」であるとの認識を有していなかつたとする判示は、原判決の挙示する証拠に照らして是認でき、かつ、証拠の取捨選択、心証の形成に関し論理則、経験則を逸脱した不合理な点は何らみあたらない。

してみると、原判決が弁護人らの主張する違法性に関する事実に錯誤はなかつたとしたのは正当であり、原判決に所論の訴訟手続の法令違反ないし事実誤認は認められない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官石丸俊彦 裁判官新矢悦二 裁判官日比幹夫)

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